1型糖尿病のある人は、日常的に血糖値の管理を行いながら生活しています。
その負担は外からは見えにくく、仕事の場面では理解されにくいこともあります。この記事では、実際に働く中で感じた困りごとや負担について、1型糖尿病を持つことで直面してきた壁や困難など、わたし自身の体験をもとにお伝えします。
働きながら続ける『見えない自己管理』

1型糖尿病になってから、血糖値の管理は日常の一部になりました。食事や体調、活動量によって血糖値が大きく変わるため、その都度判断しながら対応する必要があります。水やお茶を飲む以外は、何を口にするとしても、この糖分は?カロリーは?と、一瞬ためらい、迷います。
仕事に出る以上、お昼をまたぐ場合が一般的で、通勤のときには、これを食べることで血糖値が急上昇するかも、と考えます。それが、すぐに病院に行けない地域だと、特に重く真剣に考えて不安が大きくなります。
仕事中であっても、その管理がなくなることはありません。むしろ、業務に集中しているときほど変化に気づきにくくなるため、血糖値の上がり下がりを確認する必要があります。
外からは普通に働いているように見えても、頭の中では常に体調のことを考えている状態が続いていました。
職場で感じた理解されにくさ

実際に、在宅ではない職場、つまり通勤して働く中で感じたのは、この負担がほとんど理解されないということでした。
低血糖になったときには、強い眠気や集中力の低下が起こります。ぼんやりしてしまうこともありましたが、その状態が周囲には伝わらず、「集中していない」と受け取られてしまうことがありました。
また、血糖値を保つために補食が必要になる場面でも、「なぜ今食べるのか」を説明しなければならないことに負担を感じることがありました。体調管理のための行動が、仕事に対する姿勢の問題として見られてしまうことは、想像以上に大きなストレスでした。
この経験を繰り返したのは、とある件でニュースになった、就労継続支援A型事業所の通所時代でした。他には1型糖尿病の人がいなくて、たぶん精神障害の方が多く、身体障害の方がわずかにいるという環境です。
わたしの1型糖尿病と、必要だからお願いしたいことは面接で説明していたものの、具体的に、利用者であるわたしの要求をどこまで通すべきか、その話し合いは内輪でなされていなかった配慮はまったくなかったのです。血糖値測定器のリブレセンサーを、夏だからむき出しの腕につけていました。それを気味悪がる人もいるからと言われたのです。
また、インスリン治療も認められませんでした。みんなが驚くし、怖がるから、注射はしないでほしいと言われたのです。
無理をしてしまった経験
理解されにくい環境の中で、「できるだけ普通に見えるようにしよう」と無理をしてしまったこともあります。低血糖の兆候を感じていても、その場の空気を優先して対応を遅らせてしまったり、補食を我慢してしまったりすることがあります。しかし、その結果として体調を崩し、かえって仕事に影響が出てしまうこともありました。
前述の、就労継続支援事業所での件です。補食やインスリン注射が認められなかったことにより、体調を大きく崩して退職となり、のちには生死の境をさまよう合併症で大手術となってしまったのです。
この経験から、「周囲に合わせること」と「自分の体を守ること」は別の問題であると強く感じました。
働きやすくするためにできたこと

その後は、できる範囲で働き方を見直すようにしました。まず、体調に関わる行動については、無理をしないことを優先するようになりました。必要なときには補食をとる、違和感があれば早めに対応するなど、自分の体を守る行動を基準にするようにしました。在宅ワークなので、基本的にはそれが通用しますが、取材や撮影のときには、ペースが狂うときが、まだあります。
信頼できる相手には、自分の状況を少しずつ伝えるようにもしました。すべてを説明する必要はありませんが、最低限の理解があることで、安心感が大きく変わりました。
理解があるだけで変わる働きやすさ
働く中で実感したのは、「特別な配慮をしてくれる」よりも「病気に対する理解があること」の重要性です。体調の変化があることを前提に見てもらえるだけで、行動の自由度が大きく変わります。無理をしなくていいと感じられる環境は、それだけで働きやすさにつながります。
1型糖尿病は、傷など見た目の変化が大きいわけではありません。見えない負担があること、何かと気を付けなければならないことを、完全に理解することは難しいかもしれませんが、「そういうものがある」と知ってもらうだけでも意味があり、過ごしやすくなると感じています。
見えない負担とともに働くということ
1型糖尿病のある人にとって、働くことは、家で過ごす以上に大きな負担となる体調管理と、切り離せないものです。その負担は外からは見えにくいですが、日々の積み重ねとして確かに存在しています。
大切なのは、その負担を「個人の問題」として抱え込むのではなく、周囲と共有できる形にしていくことです。理解と環境が少し変わるだけで、働き続けることのハードルは大きく下がります。見えない負担がある前提で関わることが、誰にとっても働きやすい社会につながっていくのではないでしょうか。
同じ悩みを持つ方、一生治らない1型糖尿病を悲観し、出口が見えない生きづらさを抱えている、いわば闘病仲間である方が、少しでも笑顔でいられる職場を見つけられることを祈っています。

