「戸籍の性別を変えたら、手続きはそこで終わるのだろうか」。そう考えたことはありませんか。日本では、家庭裁判所の審判を受けると、戸籍の性別を変えられます。ただしそのためには法律の条件を満たす必要があり、変更後にも見直す書類があります。この記事では、条件と手続きの流れ、変更後の課題、そして要件見直しの議論までを順に整理します。
戸籍の性別を変える仕組み ── 法律ができた理由と5つの条件
はじめに、戸籍の性別を変える仕組みの基本を確認しましょう。日本では、戸籍の性別がさまざまな公的書類の基準になっています。そのため、書類と実際の暮らしがずれると困りごとが生じます。法律ができた背景と、定められた条件を順に見ていきます。
書類の性別が、暮らしの壁になる
自認する性で日々を過ごしていても、戸籍の性別は変わらないまま残ります。すると、身分証を見せる場面で、見た目と書類の性別が食い違ってしまいます。トランスジェンダー男性の杉山文野さんは、パスポートの性別が女性のままだったため、外見と一致しないとして入国を拒まれた経験があると語っています。就職の場面でも、事情を打ち明けたことで不利に扱われたという声があります。体の治療をどれだけ進めても、書類の問題は残り続けるのです。
この問題を解消するため、2003年に成立し、2004年に施行されたのが「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」です。家庭裁判所の審判を受けた人は、民法などの上で、原則として新しい性別に変わったものとみなされます。たとえば男性から女性に変更した人は、女性として結婚できるようになります。
なお、「性同一性障害」という言葉は医学の分野で見直されています。WHOの国際疾病分類(ICD-11)では「性別不合」という名称になり、精神疾患の分類から外れて「性の健康に関する状態」に移りました。日本政府も2024年にこの訳語を正式に採用しています。
性別を変えるための「5つの条件」
特例法は、性別を変えるための条件を5つ定めています。18歳以上であること、今結婚していないこと、未成年の子どもがいないことが、はじめの3つです。残りの2つは、生殖腺がないかその働きが永続的に失われていること、そして変更後の性別の性器に近い見た目を備えていることです。ただし4つめの条件は、2023年に最高裁が無効と判断しています(くわしくは次の見出しで説明します)。
ここでいう「結婚」は婚姻届を出した結婚を指し、事実婚は含まれません。過去に結婚していても、離婚や死別などで婚姻が終わっていれば条件を満たします。「子ども」には、実子か養子かを問わず、法律上の親子関係がある子が含まれます。
申立てには、2人以上の医師による診断書も必要です。条件は過去にも見直されており、2008年の改正で「子がいないこと」が「未成年の子がいないこと」に改められました。
最高裁の判断と、その後 ──「手術が必要」な条件はどう変わったか
5つの条件のうち、手術をともなう2つについては、裁判所の判断が大きく動いています。ここでは、2023年の最高裁の決定と、その後の裁判の流れを紹介します。
生殖腺の条件は「憲法違反」と判断された
生殖腺に関する条件を満たすには、ほとんどの場合、生殖腺を取り除く手術が必要でした。最高裁判所の大法廷は2023年10月25日、この条件が憲法13条に違反し無効であると決定しました。15人の裁判官全員が一致した判断です。
最高裁は、自認する性に従って法律上の性別を扱われることは、その人の人格と結びついた重要な利益だと述べました。そのうえで、この手術は体に強い負担をかけるものであり、医学の進歩や社会の変化を踏まえると制約として行き過ぎていると結論づけています。2019年に同じ条件を合憲とした判断を改めた形です。現在は裁判所のウェブサイトでも、この条件が無効と判断されたことが示されています。
「見た目」の条件は、今も裁判ごとに判断が続く
一方で最高裁は、見た目に関する条件については判断を示さず、審理を広島高裁に差し戻しました。広島高裁は2024年7月、この条件を「手術が必要」と解釈すると、手術か性別変更の断念かを迫ることになり、違憲の疑いがあると指摘しました。そのうえで、手術をしていなくても、他人から見て特に違和感のない外見であれば条件を満たすと解釈し、性別の変更を認めています。2025年9月には、札幌家裁がこの条件そのものを違憲・無効と判断しました。
東京高裁は2025年10月、約27年間ホルモン療法を続けても外見が変わらなかった人について、この条件を当てはめるのは違憲だとして変更を認めました。高裁で違憲の判断が示されたのは初めてです。ただし、規定そのものを違憲とまでは述べていません。そのうえで国会に対し、見た目の条件を含めて法改正が必要かどうかを検討するよう求めました。法律の文言は残ったまま、一件ごとに判断されているのが現状です。
申立てから変更後まで ── 手続きの流れと、そのあとに待つこと
ここからは、実際の手続きと、性別を変えたあとに起こることを見ていきます。審判が出れば終わりではなく、そのあとも結婚や年金、身分証などに関わる課題があります。流れを前もって知っておくと、準備を進めやすくなります。
申立てに必要な書類と費用
申立ては、住所地を担当する家庭裁判所で行います。必要なのは、申立書、生まれたときから現在までのすべての戸籍謄本、2人以上の医師による診断書です。申立書には、本籍や住所のほか、申立ての趣旨と理由を書きます。
診断書は連名の1通でも、医師ごとの別々のものでもかまいません。書き方と参考の様式は、家庭裁判所の窓口や厚生労働省のウェブサイトで確認できます。費用は、収入印紙800円分と連絡用の郵便切手代です。切手の金額は裁判所ごとに異なります。戸籍を集めるのに時間がかかることも多いため、早めの準備がすすめられています。
審判のあと、戸籍や名前はどうなる?
申立てのあと、裁判所は書面で問い合わせたり、直接事情を聞いたりすることがあり、これには必ず応じる必要があります。書面での問い合わせは本人の意思を確かめる内容が多く、決められた期日までに回答して返送します。
変更を認める審判が出ると、裁判所書記官が本籍地の役所に戸籍の記載を依頼するため、本人が届け出る必要はありません。同じ戸籍にほかの家族が載っている(または以前載っていた)場合は、本人だけの新しい戸籍が作られます。親との続柄も、「長男」から「長女」のように変わります。
ただし、名前は自動的には変わりません。名前を変えたい場合は、別に「名の変更」の申立てが必要です。性別の変更と同時に申し立てることもできますが、裁判所によっては名前の変更を先に求められることもあります。
結婚や家族との関係はどうなる?
性別を変えたあとは、新しい性別で結婚できます。一方で、すでに結婚している人は、「今結婚していないこと」という条件があるため、そのままでは申し立てられません。当事者団体は、この条件のために夫婦の実際の暮らしと戸籍の記録がずれ、かえって混乱を招いていると指摘しています。日本学術会議も、この条件は削除すべきだとの見解を示しました。
なお法律は、性別の変更がそれまでに生じた親子関係などに影響しないと定めています。変更前からの子どもとの親子関係は、そのまま続きます。
年金やパスポートの手続きはどうする?
年金については、年金事務所から「性別変更申出書」を取り寄せ、書面で申請します。記載された性別を直すため、基礎年金番号通知書または年金手帳の原本を、戸籍謄本などとあわせて提出します。
年金をめぐっては、プライバシーが問題になったこともあります。日本年金機構は2012年から、性別を変えた人に新しい基礎年金番号を割り当て、元の番号と併用していました。その前半4桁は共通の固定番号で、その意味を記した内部文書が一時ネット上で見られる状態になっていたのです。プライバシー侵害との批判を受け、厚生労働省は2013年、固定番号の使用をやめ、変更前の番号を使えるようにする方針を決めました。
パスポートは作り直しが必要です。新しく作る「新規申請」か、今の有効期限を引き継ぐ「残存有効期間同一申請」を選び、変更が確認できる戸籍謄本を添えて申請します。どちらの場合も、旅券番号は新しくなります。マイナンバーカードについては、次のカードで表面から性別の記載をなくし、ICチップに記録する方針が示されています。導入時期は、2029年度中とされています。

見直しの議論 ── 条件はこれからどう変わるのか
最高裁の決定を受けて、特例法を見直す議論も進んでいます。ここでは、国会での動きと、専門家や当事者団体の意見を紹介します。見直しの方向性には複数の考え方があり、執筆時点で法改正は実現していません。
国会ではどんな見直し案が出ているのか
2024年の国会には、立憲民主党などの議員から特例法の改正案が提出されました。未成年の子がいないこと、生殖腺、見た目の3つの条件を削除する内容です。
自民党も2024年2月に党内での議論を始め、同年6月には特命委員会が報告書をまとめました。生殖腺と見た目の条件を削る一方で、新しい条件を加える案です。心と体の性が一致しない「性別不合」の状態が一定期間続き、自認する性で社会生活を送っていることが条件として示されました。党内の別の議員連盟は同年4月、10年以上別の性別で生活していることや、10年以上治療を受けていることなどを条件に加えるよう提言していました。
専門家や当事者団体は、何を求めているのか
日本学術会議の分科会は2026年6月、特例法を廃止し、条件をゆるめた新しい法律をつくるよう国会に求める見解を出しました。結婚、子ども、生殖腺、見た目に関する4つの条件は削除すべきだとしています。国際人権団体のヒューマン・ライツ・ウォッチも2024年、長い待機期間やホルモン治療を条件にする案を問題視しました。
一方で、公衆浴場やトイレの利用をめぐる不安の声もあります。学術会議の見解は、裸になる共同浴場では体の特徴にもとづく利用制限は合理的だとし、当事者団体もこれを認めていると述べています。
性別変更は「ゴール」ではない ── 変更後も続く手続きを知っておく
戸籍の性別を変えるには、法律の条件を満たし、家庭裁判所の審判を受ける必要があります。条件の一部は最高裁で無効とされ、今も裁判や国会での議論が続いています。変更のあとにも、年金や身分証などの手続きがあります。当事者にとっても支援者にとっても、この全体像を知ることが、次の一歩を考える手がかりになります。

