「男なんだから泣くな」「女の子らしくしなさい」。誰もが一度は耳にしたことのある言葉かもしれません。なぜ私たちは性別によって異なる振る舞いを求められるのでしょうか。この記事では、ジェンダー規範が生まれた背景と、いま少しずつ変わりつつある社会の動きを明らかにします。
そもそも「ジェンダー規範」とは何か
ジェンダーを考えるうえで、まず押さえておきたいのが「セックス」と「ジェンダー」の違いです。セックスは、染色体や生殖器など生物学的な性差を指す言葉です。一方ジェンダーは、社会や文化のなかで「男性/女性とはこうあるべき」という形でつくられてきた性別のあり方を指します。
このジェンダーから生まれる「男性はこうあるべき・女性はこうあるべき」という社会的な期待を「ジェンダー規範」と呼びます。「男性は強くあるべき」「女性は気配りができるべき」といった振る舞いの期待、「男の子は青、女の子はピンク」といった色の結びつき、「医師は男性、看護師は女性」といった職業イメージなど、私たちの日常にはさまざまな形で入り込んできました。
ここで大切なのは、ジェンダー規範は時代や地域によって変化するものであり、決して永久不変のものではないという点です。いま私たちが当たり前と感じている「らしさ」も、その時々の状況に合わせて考え直す必要があるのです。

ジェンダー規範はいつ・どのように生まれたのか
「男は外で働き、女は家を守る」という考え方は、決して大昔から続いてきたものではありません。こうした性別役割分業が広く一般化したのは、産業化と近代家族モデルが成立した近代以降のことだと考えられています。
戦後の日本もその流れの一つです。日本財団ジャーナルに掲載された関西大学・多賀太教授のインタビューによれば、戦後の日本は「男性稼ぎ手」体制のもとで経済発展を遂げ、男性には長時間働いて一家を養う賃金を得る役割が期待され、女性には男性に経済的に依存して家庭責任を果たすことが求められたとされています。さらに欧米では1973年のオイルショック以降、男性稼ぎ手体制は次第に機能しなくなり夫婦共働きが主流になっていきましたが、日本はバブル崩壊が起こる1990年代前半まで、男性稼ぎ手体制のもとで上向きの経済を維持できたため、社会の仕組みを変える必要性に迫られなかったといいます。
加えて、出産や授乳は身体構造上女性が担うものですが、この生物学的な事実が「だから家事も育児も女性の仕事」というふうに、社会的役割の固定化の根拠として使われてきた側面もあります。本来、出産・授乳と日々の家事や育児の分担は別の話のはずですが、両者が結びつけて語られてきたことで、性別による役割の固定が長く維持されてきました。
つまり、「男らしさ・女らしさ」の多くは自然に決まっているものではなく、その時代の経済や家族のあり方に合わせて形づくられてきた社会的な産物だといえます。
ジェンダー規範が今も人々に影響を与える:男女双方の生きづらさ
「女性は家庭」「女性はサポート役」というイメージは、進学や就労、昇進の場面で選択肢を狭めることがあります。教育における顕著な例が、理工系分野の女子学生比率の低さです。

文部科学省が行った別の調査によれば、2023年時点で日本の高等教育機関の卒業生に占める女性の割合は、「自然科学・数学・統計学」分野で27.9%、「工学・製造・建築」分野で16.1%にとどまっています。
注目すべきは、能力面では男女差がほとんど見られないという点です。
文部科学省の資料によれば、義務教育終了段階を対象とするOECDのPISA調査において、日本は「数学的リテラシー」「科学的リテラシー」で安定的に世界トップレベルを維持しており、女子の平均スコアもOECD平均より高い水準にあります。能力ではなく、進路選択の段階で「理系は男性のもの」というイメージが影響している可能性が指摘されています。

男性が抱える「稼ぎ手プレッシャー」
一方、男性にも独特の負担があります。先ほど取り上げた多賀教授のインタビューでは、「稼ぎ手プレッシャー」は日本の代表的なジェンダー問題であり、共働きが当たり前となりつつある若い世代の男子学生でも、「自分は稼がない」という選択をすることは難しく、「最後は自分が支えなきゃ」という意識が強いと指摘されています。
この「弱音を吐いてはいけない」「家族を養うべき」という規範は、男性のメンタルヘルスや働き方にも影響を与えます。同インタビューでは、稼ぎ手役割を果たしている男性の多くも、それと引き換えに望まない長時間労働を強いられ、育児や私生活にもっと時間を割きたくてもそれがかなわなかったり、健康を害したりという状況に置かれているとも語られています。
「男なんだから黙って働け」「弱音を吐くな」といった言葉は、職場や家庭でいまも繰り返されることがあります。こうした規範は、男性が育児休業を取りたいと思っても言い出しにくい雰囲気をつくり、家庭との関わりを限定的にしてしまうこともあります。
変わりつつある社会
それでも、社会は少しずつ変わりつつあります。制度面では、1985年に日本が女性差別撤廃条約を批准し、1999年には男女共同参画社会基本法が成立しました。性別にかかわらず誰もが社会のあらゆる分野で活躍できる社会の実現を目指す、土台となる枠組みです。
身近な変化もあります。
男性の育休取得率は近年大きく伸びており、厚生労働省が公表した2024年度の雇用均等基本調査によれば、男性の育児休業取得率は40.5%で、2023年度調査時の30.1%から10.4ポイント上昇し、過去最高を記録しました。企業による意向確認や取得状況の公表などが義務付けられたことが背景にあるとされ、制度の整備と取得の広がりが連動して進んでいることがうかがえます。

ただし、課題が解消されたわけではありません。
世界経済フォーラムが発表した「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数2025」では、日本は148カ国中118位にとどまり、2006年の第1回発表以来19年間、下位30%から25%付近が日本の定位置となっている状況です。経済分野では、管理職に占める女性割合が14.8%で127位と、職場における意思決定層の偏りは依然として大きな課題です。変化は確実に進んでいるものの、それは「完了」ではなく「途中経過」であるという認識を持つことが大切です。

「らしさ」から自由になるために、私たちにできること
ジェンダー規範を見直すことは、誰かを責めることでも、過去を否定することでもありません。自分にも他者にも少しだけ優しくなり、選択肢を広げていく試みです。
明日から始められる工夫として、まず無意識に使っている言葉を見直してみることが挙げられます。「男のくせに」「女のくせに」といった表現は、相手の選択肢を狭めるメッセージになり得ます。
自分や周囲の人の選択を尊重するのもできることの一つ。男性が育児を中心に担うことも、女性が理工系や管理職に挑戦することも、本人が選んだ生き方として受け止める姿勢が大切です。
そして、社会の仕組みに目を向けること。多賀教授もインタビューで、男女それぞれが抱える問題の原因となっている社会の仕組みを理解し、一緒に改善していくためにはどうすればよいかといった発想ができれば、男女間の残念な対立はもっと緩和されると述べています。 「男女のどちらが大変か」を競うのではなく、共通の課題の根っこを一緒に見つめ直すこと。それが、誰もが自分らしく生きられる社会への、小さくて確かな一歩になるはずです。

