近年、ポップカルチャー業界では、マイノリティのキャラクターを当事者の俳優たちが演じるべきだという考え方から「当事者キャスティング」が注目されています。本記事では、当事者キャスティングとはなにかお伝えしたうえで、重視される理由や課題、実際に当事者キャスティングされた事例を紹介します。
当事者キャスティングとは
当事者キャスティングとは、障がいやLGBTQ+などのマイノリティの役を当事者が演じるべきだという考えが基盤となったキャスティング方法の一つです。『我らの生涯の最良の年(1946)』では、第二次世界大戦の実戦経験を持ち、実際に腕を失っている俳優のハロルド・ラッセルが退役軍人役にキャスティングされ、実際の経験から苦悩や葛藤を実体験に基づき演じたことが評価されました。
ただし、この作品を除くとポップカルチャー業界では当事者キャスティングが重視されていませんでした。2010年代、障がいを持たない人が障がい者を演じることへの批判としてクリッピング・アップ(cripping up)という言葉が誕生したり、障がいを持つキャラクターの約95% (*1) が当事者以外の俳優によって演じられていることに対して問題視する声が増え始めました。現在、倫理や人権の側面から当事者キャスティングが採用されるケースも増えていますが、未だ十分とはいえないのが実態です。
参考:"hollywood is still casting able-bodied actors to play characters with disabilities"
当事者キャスティングが重視される理由
当事者キャスティングが重視されるようになった理由を3つ紹介します。
当事者俳優の雇用機会
マイノリティに属する俳優(とくに障がいを持つ人やトランスジェンダーなど)は、そもそも受けられるオーディションが限られます。聴覚や視覚に障がいがあれば、健常者の役を演じることは困難ですが、健常者が障がいを持つキャラクターを奪ってきた歴史があります。障がいや社会的マイノリティの要素を抱えながらも俳優としての夢を持つ人たちが、健常者と同様のチャンスを得られるよう、当事者キャスティングが機能することが望ましいです。
リアルな表現の追求
徹底した役作りをすることで、作品のリアリティを追求することは可能でしょう。一方で、非当事者のみで制作された作品には、無意識下での誇張やステレオタイプを助長させる要素が含まれることも少なくありません。たとえば、自閉症の人は「感情が少ない」「特異な行動をとる」など特定のイメージばかりが描かれてきたことで、社会的なイメージとの乖離、誤解を生むこととなりました。当事者を制作陣や俳優として採用することで、実態とかけ離れた演出を防ぐことにつながります。
演技力として評価されることへの疑問
非当事者が障がいやマイノリティの要素を持つキャラクターを演じるためには、演技力が必要とされており、俳優自身の演技力を証明する一つの機会として使われてきました。『博士と彼女のセオリー』ではエディ・レッドメインがALS(筋萎縮性側索硬化症)を、『レインマン』ではダスティン・ホフマンが自閉症を、『フォレスト・ガンプ』ではトム・ハンクスが知的障がいを、『ボヘミアン・ラプソディ』ではラミ・マレックがゲイ(バイセクシャル)を演じ、アカデミー賞主演男優賞を受賞しました。このような事実に対して、非当事者の俳優のキャリアステップとして扱われているのではないかという声が強まっています。
当事者キャスティングが抱える課題
人権や表現の適正さという側面で重要視される当事者キャスティングですが、実際に採用されにくい背景にあるいくつかの課題を紹介します。
演技力やクオリティの確保
マイノリティに属する俳優の数は少なく、経験や演技力の少なさが作品の完成度に影響する可能性は否定できません。実際に、当事者への理解や交流を通した役作りで、卓越した演技力を発揮し、高く評価されている作品も数多くあります。「当事者だから…」という理由だけをキャスティング基準にするのではなく、マイノリティの人たちが俳優としてのキャリアを築きやすくなるような育成の場や機会を拡充する環境づくりが求められています。
撮影現場におけるバリアフリー確保
身体障がいを抱えているような俳優をキャスティングする場合、撮影現場でのバリアフリー対応が必要になります。移動導線や設備、制作陣とのコミュニケーション手段など、通常よりも幅広い部分への配慮がなければ、作品作りに参加することが困難になるからです。『ウィキッド』では、実生活でも車椅子生活を送るマリッサ・ボーディのために撮影現場がバリアフリー化されました。しかし、予算が限られている場合、費用や手間などの側面が当事者キャスティングの障壁になることが想定されます。
ポップカルチャー業界における当事者キャスティングが実現した事例
最後に、当事者キャスティングが実現した3つの作品を紹介します。
映画『ウィキッド』
映画『ウィキッド』では、車椅子に乗ったエルファバの妹・ネッサローズ役に実生活でも車椅子を使用する俳優のマリッサ・ボーディがキャスティングされました。
舞台版では、ネッサローズが車椅子を下りて自分の足で歩けるようになる描写が、映画版では最後まで車椅子を使うキャラクターとして描かれています。これはマリッサ・ボーディが「実際に歩く演技ができない」からではなく、障がいとともに生きる人たちを肯定的に描き「障がい=克服するべきもの」という従来の価値観を問い直していると捉えられます。
映画『コーダ あいのうた』
映画『コーダ あいのうた』では、家族のなかで唯一耳が聞こえる主人公ルビーの家族として、実際のろう者であるマーリー・マトリン、トロイ・コッツァー、ダニエル・デュラントがキャスティングされました。
本作を手がけたシアン・へダー監督は、映画会社から聴者の俳優をキャスティングするよう求められていました。しかし、耳の聞こえない才能ある俳優をキャスティングするべきだという強い思いから、ろう者で初のアカデミー賞主演女優賞を受賞したマーリー・マトリンをメインキャストとしてオファーします。彼女は「ほかのろう者のキャラクターが聴者によって演じられるのであれば出演しない」と強い意志を表明し、複数の当事者キャスティングが実現しました。監督自身が手話を習得したり、ろう者に関する専門職・DASLを導入するなど、当事者キャスティングの理想的な環境づくりを提示したことで、ポップカルチャーの未来に大きな影響を与えています。
ドラマ『フェローズ・トラベラーズ』
ドラマ『フェローズ・トラベラーズ』では、アメリカを舞台に1950年代のラベンダー・スケアから1980年代のエイズ危機の渦中を生きる二人のゲイ男性として、世間にセクシャリティを公表しているマット・ボマーとジョナサン・ベイリーがキャスティングされました。
LGBTQ+をテーマにした作品では悲劇やセンセーショナルなストーリーが多く、それを演じることで俳優キャリアに箔がつくようなケースもあります。しかし、特定のセクシャリティを自認した俳優が当事者として演じることで、社会変化の可視化やコミュニティの連帯性などが反映され、より意義のある作品に仕上がるという実例を作り出しました。
当事者キャスティングが切り開く新しいポップカルチャー
以前までは「障がいを持っていたら映画には出られない」「セクシャリティを公表すると俳優キャリアの道が狭まる」などのイメージを持つ方も多いかもしれませんが、近年では当事者キャスティングという採用方法が注目されるようになったことで、さまざまな個性を持った俳優が映画やドラマに出演する機会が増えています。視聴者として当事者キャスティングを支持することは、当事者の育成やキャリア形成の機会を生み、作品のリアリティや質を高めることにもつながります。これからポップカルチャーに触れる際には、どういった背景でキャスティングや制作されているのかを調べてみるのもよいでしょう。

