カミングアウトという言葉には、どこか重たい響きがあります。それはきっと、自分の中の大切な一部を差し出すような、そんな感覚に近いからでしょう。
私は30代のゲイ男性です。ここでは、そんな私自身のカミングアウトにまつわる体験を振り返ってみたいと思います。

今思えば、初恋は小学生のころ。特に仲の良かった同性の友人に、理由も分からないまま強く惹かれていました。放課後に一緒に帰ったり、遊びの約束をするだけで胸が高鳴り、翌日のことを考えて眠れなくなる夜もありました。その気持ちを恋だと認めることはありませんでしたが、心のどこかで特別な存在だと感じていました。
高校時代は異性の友人の方が多く、よく一緒に出かけたり、放課後に長く話し込むこともありました。けれど、異性に対しては友だちとしての感覚を超えることは一度もありませんでした。恋愛感情が芽生えるのは、いつも同性に対してだけ。その事実が、私の中で少しずつ明確になっていきました。
そして高校生の終わり頃、「自分はゲイなのかもしれない」とはっきり自覚するようになりました。しかし、その事実を自分で受け入れるまでには時間がかかりました。「周囲と違う」という現実は、思っていた以上に重く、孤独や不安を生みました。言葉にすれば、何かが壊れてしまうような気がして、誰にも言わず胸の奥に閉じ込めていました。
それでも、ふとしたきっかけで気持ちを伝えたとき、「話してよかった」と思えた経験もありました。もちろん、すべてがうまくいったわけではありません。傷ついたこともあれば、戸惑ったこともあります。それでも今、自分の言葉で振り返ることができるようになったからこそ、私のカミングアウトのことを、少しだけお話しさせてください。
本当の自分を隠して生きる日々
幼いころは、何も考えずに“本当の自分”でいられました。好きなものを好きと言い、感じたことをそのまま口にしていたと思います。
幼稚園のころ、いわゆる「戦隊ごっこ」よりも、友達と一緒にやる「おままごと」のほうが好きでした。小さなキッチンセットで料理をつくる役になったり、お父さん役や子ども役をしたりしていました。そういう遊びのほうが、なぜかしっくりきたのです。でも、それを「変だ」と言われたことはなく、ただ楽しくて夢中になっていました。
小学生になると、テレビの中の男性アイドルに憧れ、歌番組で笑顔を見せるたびに胸が高鳴り、雑誌の切り抜きを大事に机の引き出しにしまっていました。やがて物心がつくころ、周囲の男子たちが女性アイドルやグラビアの話題で盛り上がるようになりました。
誰が一番かわいいとか、どの写真集が良かったとか……。私はその会話に入り込めず、無理に話を合わせることもできませんでした。そのとき初めて、「自分はみんなと感じ方が違うのかもしれない」と意識しました。胸の奥がひやりと冷たくなり、周囲の笑い声が遠く感じられました。
その感覚が少しずつ大きくなるにつれて、自分を全部さらけ出すことはなくなりました。やがて、自分でも「本当の自分」が何なのか分からなくなっていきました。心の中に壁をつくり、誰にも踏み込ませないようにしていたのかもしれません。
初めて話したのは信頼していた友人だった

初めて自分のことを話したのは、専門学生時代のクラスメイトでした。彼女は、自分の「性」に悩んでいて、「自分はどこに当てはまるのか分からない」と静かに打ち明けてくれました。
私はそのときすでに、自分がゲイであることを自覚し、受け入れていました。彼女の言葉に背中を押されるように、「実は自分もね…」と打ち明けました。
すると彼女は「やっぱり?」「だよね〜」と笑い、まったく態度を変えませんでした。それどころか、クラスの男友達が性の話題で盛り上がると、私が気まずそうにしているときに助け舟を出してくれることもありました。

私たちはよく、校舎の前にある小さな公園のベンチに腰掛けて、夕暮れまで話し込みました。その日あった出来事や将来のこと、誰にも言えない胸の内など、気づけば何時間も経っていることもありました。時にはお泊まり会をして、夜通し恋愛や人生の話をすることもありました。暗い部屋で小さな明かりだけを灯しながら話す時間は、不思議と心の壁をやわらかくしてくれたのです。
その安心感のおかげで、私は他のクラスメイトにも自分のことを話すようになりました。気づけばクラス全体に伝わっていましたが、誰も拒絶することも、過剰に肯定することもなく、ただの日常が続きました。特別なことではなく、あくまで「その人の一部」として受け止められる。その空気がとても心地よかったのです。
でも、家族にはうまくいかなかった

家族に知られたのは、自分の意思ではありませんでした。当時付き合っていた彼との手紙を、母に読まれてしまったのです。その日も父と母と3人で夕食を囲んでいたとき、父が切り出しました。
「お母さんがね、手紙を見たって言ってる」
母は「病院に行ってみない?」と真剣な顔で言い、父は「自分たちの育て方が悪かったのかもしれない」とつぶやきました。まるで、自分が“正しくない存在”であるかのように扱われているようで、言葉が突き刺さりました。
でも、私は黙っていられず、こう返しました。
「人を好きになることの、何が悪いの?」
声が震えていたのを覚えています。涙が出るほど悔しかったけれど、それだけは伝えたかった。それが私のすべてだったからです。
あの日から家庭内の会話は最小限になり、必要なことだけを交わす日々が続きました。そして3年後、一人暮らしを始めてからは、年に数回しか会わなくなりました。さみしさを感じないわけではありませんが、自分の心を守るには、それが必要な距離でした。
10年以上経った今でも、その距離は変わっていません。けれど、あの日自分を否定せず、声をあげたことは後悔していません。
支えてくれる人がいたから、自分を受け入れられた
家族との距離ができたあと、しばらくのあいだ、心にぽっかりと穴が空いたような感覚がありました。一人暮らしを始めて自由は手に入ったけれど、同時に不安や孤独もついてきました。
でも、私には味方でいてくれる人たちがいました。あのとき最初に話を聞いてくれたクラスメイトは、その後もずっと変わらずに接してくれて、さりげない場面でも私を気づかってくれました。

その安心感のおかげで、私は少しずつ、他のクラスメイトにも自分のことを話すようになりました。派手に打ち明けたわけではなく、あくまで自然に、必要なときにだけ。そうやって、気づけばクラス全体に伝わっていったような形でした。
でも、驚いたのはそこからでした。誰も拒絶することもなければ、過剰に肯定するわけでもない。「へえ、そうなんだ」くらいの温度で、それまでと何ひとつ変わらない日常が続いたのです。
正直に言えば、拍子抜けした部分もありました。でも同時に、「それがとても心地よかった」と思えました。
“特別視されることもなく、否定されることもなく、ただ自分としてそこにいられる”――その空気が、私の中にずっとあった重たいものを、少しずつほどいてくれたような気がします。
何か劇的な変化があったわけではありません。けれど、それこそが本当の意味での“受け入れられた”ということなのかもしれません。
これからカミングアウトを考えている人へ
カミングアウトは、必ずしも“すべきこと”ではありません。誰かに打ち明けることで心が軽くなる部分もあるけれど、同時に、その言葉を受け取った相手に、少なからず“重み”を渡してしまうこともあります。
私自身、誰かに伝えるたびに少し楽になっていく感覚を覚えながらも、「この人はどう受け止めただろう」「気をつかわせてしまったかな」と思うこともありました。私の場合も、安心できる相手にだけ少しずつ話しました。逆に「今はやめておこう」と思った相手もいます。まだ、自分の口から伝えていない相手もいます。それは臆病だからではなく、自分の心を守るための判断でした。
それでも、どこかで限界を感じていた私にとって、“誰かに知ってもらう”という行為は、自分を守るために必要な一歩でした。
だからこそ、伝えるかどうかは、自分のタイミングでいいと思います。言いたくなったときに、言いたい相手に、言いたい方法で。無理に言わなくても、それは逃げではありません。
大切なのは、「自分がどうありたいか」です。誰かに伝えることも、伝えないことも、どちらも立派な選択です。あなたがあなたであることを、どうか否定しないでいてください。無理せず、自分のペースで、自分らしくいられる道を選んでほしいと思います。
カミングアウトは「自分を生きる」選択肢のひとつ

カミングアウトという言葉には、どこか“劇的なできごと”という印象があります。でも私にとっては、「生きていくうえで選んだ手段のひとつ」でした。
伝えたことで変わった人間関係もあれば、伝えたのに変わらなかった関係もありました。
でも、どちらにも共通して言えるのは、“本当の自分”として人と向き合えるようになったことです。その心地よさは、言葉にするのが難しいくらい、大きなものでした。
過去の自分がいたから、今の自分があります。後悔しているわけではありません。
でも、もしあの頃の私に声をかけられるのなら――
「大丈夫、そのままでいいよ」
と、そっと伝えてあげたいです。
カミングアウトはゴールでもスタートでもなく、ただ「自分を生きる」選択肢のひとつです。誰かと比べなくていいし、無理に選ばなくてもいい。
あなたが「あなたらしく」いられる場所や人が、きっと、どこかにあります。そう信じて、一歩ずつ、自分のペースで進んでいけますように。